競輪選手の意外な経歴を紹介!プロスポーツ選手・モデル・公務員など異色の経歴を持つ選手をまとめてみた!!

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こんにちはー!ジュンです!

競輪選手経歴って知ってる?

有名な競輪選手だと、元々〇〇の人でしょ?って知られてると思うんだけど、実はこの競輪選手も昔は〇〇!って人もいるから、今回は一気にまとめてみたよ!

1つの記事でまとめるから、記事のボリュームが多いかもしれないけど、どの職業からでも競輪選手は目指せると思ってもらえると嬉しいな!

【異色の経歴】を持つ競輪選手

中村翔平選手 117期

中村翔平選手の画像
中村翔平選手の画像

”出典:日刊スポーツ

中村翔平(なかむら しょうへい)
1993年7月2日、福岡県飯塚市生まれ。
鹿児島実業3年時、春のセンバツ甲子園に出場。卒業後、ボートレーサーを目指し、養成所に入所も、3か月で体調を崩し退所。その後、福岡県警に採用され、機動隊、レスキュー隊を経て、テロ対策室へ。17年に退職し、競輪選手を目指す。
”引用:スポーツ報知

【モデル】から競輪に転向した経歴を持つ選手

田中麻衣美選手 102期

田中麻衣美選手の画像
田中麻衣美選手の画像

”出典:けいりんマルシェ

田中麻衣美(たなか まいみ)
1982年8月11日、新潟県新潟市生まれ。
新潟青陵高校を卒業後、エステティシャンやウエディングモデルを経て、弥彦競輪PRユニット・すぴRitsで畑中まいみとして活動。
2010年、弥彦競輪場が「CLUB SPIRITS」というサイクリングクラブを発足したことを受け加入と同時に、2012年7月開始予定の女子競輪選手を目指すことになり、同じ志を持った加瀬加奈子、藤原亜衣里、中川諒子の3人とともに共同生活をスタートさせた。

亀川史華選手 110期

亀川史華選手の画像
亀川史華選手の画像

”出典:けいりんマルシェ

亀川史華(かめかわ ふみか)
1991年5月9日、兵庫県出身。
祖父は亀川光夫(5期、引退)、父は亀川修一(41期、引退)、叔父は亀川昌宏(48期、引退)という競輪一家に生まれた三世選手。
競輪選手になるまで競輪については父親の引退レースを見た程度で全く興味がなく、むしろ幼い頃は病弱だった母親を見て医師を目指して勉学に励んでいたほどだった。
その後は美容師に興味を持つようになり、中学を卒業後は大阪美容専門学校に進学。専門学校を卒業後はサロンで美容師として働いていたが、20歳のときにスカウトされモデルの仕事も兼業していた。
美容師、モデルともに仕事で行き詰っていた23歳の頃、父親に相談したとき父親にサイクリングに誘われ、そのサイクリングに快感を覚えたこと、また自転車に乗っている父親の後ろ姿が格好良く見えたことをきっかけに、競輪選手を目指すようになった。

【グラビアアイドル】から競輪に転向した経歴を持つ選手

日野未来選手 114期

日野未来選手の画像
日野未来選手の画像

”出典:けいりんマルシェ

日野未来(ひの みらい)
1993年1月26日生まれ、大分県大分市出身。
2010年5月、福岡県福岡市を拠点とする女性アイドルグループ『HR』のオープニングメンバーオーディションに合格し、同年8月のHR劇場(ボックスタウン箱崎内)第1回公演『ようきんしゃったね』でステージデビューを飾る。
『HR』を卒業後、活動拠点を関東に移しプラチナムプロダクションに所属
以後、タレント、グラビアアイドルとして活躍。
元々ギャンブル好きだったこともあり、東京に活動拠点を移してからは競輪関係のイベントやテレビ番組などへの出演が増えた。そこでガールズケイリンの存在を知り、奥井迪の走りに感動し競輪の面白さや魅力を感じたことで一念発起、競輪選手を目指すことになった。

【公務員】から競輪に転向した経歴を持つ選手

皿屋豊選手 111期

皿屋豊選手の画像
皿屋豊選手の画像

”出典:松阪競輪場公式サイト

皿屋豊(さらや ゆたか)
1982年12月27日生まれ、三重県出身。
伊勢市役所に15年勤務したあと競輪選手を目指す。
高校まで運動歴はなかったが、25歳のときにダイエットで始めた自転車に興味を持ち、1000メートル独走が1分10秒を切ったことで選手を志した。

中村由香里選手 102期

中村由香里選手の画像
中村由香里選手の画像

”出典:ガールズケイリン公式サイト

中村由香里(なかむら ゆかり)
1981年3月9日生まれ、大阪府出身。
大阪教育大学を経て、小学校教員となる。そして教師生活の傍ら、シクロクロスを始めとする自転車競技大会にも随時出場していた。
2009年10月に、競輪学校でガールズケイリンの生徒募集が行われることを知り、競輪選手になることを決意。当時6年生の担任を務めていた勤務先の小学校に、2010年3月に挙行された卒業式を終えた後、辞表を提出し、教師生活にピリオドを打った。

【バーテンダー】から競輪に転向した経歴を持つ選手

宮西翼選手 100期

宮西翼選手の画像
宮西翼選手の画像

”出典:富山競輪場公式サイト

宮西翼(みやにし つばさ)
1979年12月24日生まれ、石川県出身。
実家が経営するショットバーと空手道場を兄と手伝っていた29歳の時、店の常連客だった伊藤健詞(51=石川)に勧められ一念発起。未経験の自転車の世界に飛び込み、31歳でデビューした。

【キックボクサー】から競輪に転向した経歴を持つ選手

鈴木裕選手 92期

鈴木裕選手の画像
鈴木裕選手の画像

”出典:競輪スポニチ

鈴木裕(すずき ひろし)
1984年12月9日生まれ。
埼玉県立三郷北高等学校出身。2002年5月26日、プロキックボクサーとしてデビュー戦を迎えKO勝ち。続く同年9月22日の一戦も判定勝ちを収めた。
しかし網膜剥離により、2戦2勝の戦績をもって引退を余儀なくされた。
その後、酢崎良雄(競輪学校53期生)に弟子入りして競輪選手を目指すことになった。2006年、競輪学校第92期生として入校。在校競走成績は50位。

【ボート競技】から競輪に転向した経歴を持つ選手

林真奈美選手 110期

林真奈美選手の画像
林真奈美選手の画像

”出典:ガールズケイリン公式サイト

林真奈美(はやし まなみ)
1985年12月30日生まれ、大分県日田市出身。
大分県立日田高等学校在学時、兄の影響でボート競技を始め、高校3年時には国体で優勝。
高校卒業後はデンソーに所属し実業団選手として全日本選手権で6度の優勝、2012年世界選手権にも出場を果たした。
27歳のときにボート競技から引退、地元に帰っていたときにガールズケイリンの存在を知り興味を持ち、恩師や家族からの勧めもあって競輪選手を志したという。

【ソフトボール】から競輪に転向した経歴を持つ選手

奈良岡彩子選手 104期

奈良岡彩子選手の画像
奈良岡彩子選手の画像

”出典:けいりんマルシェ

奈良岡彩子(ならおか さいこ)
1990年2月6日生まれ、青森県出身。
青森県立弘前実業高等学校を経て2008年、ルネサス テクノロジに入社、外野手としてルネサス高崎女子ソフトボール部に加入。
同チーム在籍時代は上野由岐子らとともに全日本総合女子ソフトボール選手権大会の2年連続優勝などに貢献した。
2010年、女子競輪が2012年に復活することに興味を示したことを理由に、ルネサスを退社。
2011年2月25日に競輪学校第102期試験に合格。同年5月に競輪学校に入校したが卒業できず、同校104期に編入された後、2013年3月29日に卒業した。在校競走成績は10位。

岩田みゆき選手 120期

岩田みゆき選手の画像
岩田みゆき選手の画像

”出典:ガールズケイリン公式サイト

岩田みゆき(いわた みゆき)
1992年6月14日生まれ、愛知県出身。
小学校5年からソフトボールに打ち込んだ。甲賀健康医療専門学校時代にはU-19日本代表として第9回世界女子ジュニアソフトボール選手権で準優勝となるなど実績を残した。
その後、シオノギ製薬女子ソフトボール部に所属し選手として活動していたが2018年に引退、黒河内由実に誘われる形で自転車競技をはじめ、豊橋競輪が実施するガールズケイリン育成プロジェクトに参加。
2020年1月16日、日本競輪選手養成所第120回適性試験に合格。養成所競走成績は20位。

【アイスホッケー】から競輪に転向した経歴を持つ選手

荒牧聖未選手 102期

荒牧聖未選手の画像
荒牧聖未選手の画像

”出典:けいりんマルシェ

荒牧聖未(あらまき さとみ)
1990年4月28日生まれ、栃木県日光市出身。
実父は、元競輪選手の荒牧友一。
日光市立日光中学校、東京女子学院高校を経て、日本体育大学体育学部体育学科(日体大)に進学する傍ら、女子アイスホッケーチームのSEIBUプリンセス ラビッツに所属し、全日本女子アイスホッケー選手権大会で優勝に貢献。
また、アイスホッケー女子日本代表としてバンクーバーオリンピック予選にも出場した。その後、日体大を中退し、競輪学校第102回(女子第1期)試験に合格、ガールズケイリンの1期生となった。同校在校競走成績は27勝を挙げ第4位。

岡村育子選手 102期

岡村育子選手の画像
岡村育子選手の画像

”出典:ガールズケイリン公式サイト

岡村育子(おかむら いくこ)
1976年9月17日生まれ、埼玉県飯能市出身。
埼玉県立飯能高等学校入学後、友人に誘われてホッケー部に入部。
以後、ポジションはゴールキーパー一筋。その後、ホッケーの名門、天理大学を経て、H.F.C – HANNOに所属。また、駿河台大学のコーチも務めていた。
2006年ホッケー・ワールドカップ 5位、アジア競技大会 2位、2008年北京オリンピック(愛称:さくらジャパン)に出場し10位。
2011年日本競輪学校 第102回(女子第1期)適性試験に合格。同校在校競走成績は1勝を挙げ第29位。

杉本正隆選手 96期

杉本正隆選手の画像
杉本正隆選手の画像

”出典:取手競輪場公式サイト

杉本正隆(すぎもと まさたか)
1986年3月12日生まれ、北海道釧路市出身。
小学校の頃からアイスホッケーを行い、埼玉栄高等学校時代の2004年にはアンダー18(18歳以下)、法政大学(以下、法大)時代の2005年にはアンダー20(20歳以下)の世界選手権における、日本代表ディフェンダー(DF)に選出された。
法大卒業後、競輪学校に入校。同期に深谷知広、柴田竜史らがいる。

【サッカー】から競輪に転向した経歴を持つ選手

北井佑季選手 119期

北井佑季選手の画像
北井佑季選手の画像

”出典:ヤフーニュース

北井佑季(きたい ゆうき)
1990年1月27日生まれ、神奈川県出身。
3歳からサッカーを始め、横浜F・マリノスジュニアユース追浜、桐光学園高校を経て近畿大学に進学、2年次の2010年に大学を中退して当時JFLのFC町田ゼルビアに加入。
サッカー選手時代は、ポジションはミッドフィールダー、フォワード。
2012年3月20日にホーム町田市立陸上競技場で行われたJ2リーグ・ロアッソ熊本戦で得点を決め、町田のホームゲーム初勝利に貢献した。
2013年より松本山雅FCに完全移籍。
2015年、カターレ富山へ期限付き移籍。2016年1月に富山へ完全移籍。2017年11月22日に富山との契約満了が発表された。
2018年よりSC相模原へ完全移籍。
2019年3月16日、現役を引退すると発表された。
身近な知人が現役の競輪選手だったこともあり、プロサッカー選手として現役だった頃から自身も競輪選手への転向を考えていたものの、少しでも長くサッカーを続けたいという思いから2018年までプロサッカー選手を続ける。30歳を迎える前のタイミングもあり、現役引退を表明後にまずは知人の競輪選手に話をし、平塚競輪場をホームバンクとする元Jリーガーで現役の競輪選手である河野淳吾を紹介され、河野の師匠である高木隆弘に弟子入り。

河野淳吾選手 99期

河野淳吾選手の画像
河野淳吾選手の画像

”出典:平塚競輪場公式サイト

河野淳吾(こうの じゅんご)
1982年7月9日生まれ、神奈川県足柄郡湯河原町出身。
地元の湯河原サッカースポーツ少年団でサッカーを始める。
2001年、サンフレッチェ広島に入団、同期に林卓人、トゥーリオ(現・田中マルクス闘莉王)、西嶋弘之、寺内良太、梅田直哉、李漢宰。広島での公式戦試合出場は、ナビスコ杯に2試合出場に留まった。
2009年、地元の神奈川県に戻って競輪への転向を目指し、同県の競輪選手である高木隆弘の元へ住み込みで弟子入りした。
同年7月17日、日本競輪学校第99期一般入学試験(適性試験)に合格した。
同年11月25日入学。2010年10月15日、同校を卒業。在校競走成績は74戦1勝で第44位。

竹内翼選手 

竹内翼選手の画像
竹内翼選手の画像

”出典:日刊スポーツ

竹内翼(たけうち つばさ)
1991年5月20日生まれ、広島県広島市出身。
原南アイオロスFC、安芸FCから広島観音高校へ進学する。高校時代は、広島県選抜選手にも選出され、2009年第88回全国高校サッカー選手権では、ベスト8進出に貢献した。また、U-18日本代表候補として、トレーニングキャンプへ参加している。
2010年、高校の同期である岡崎和也と共にファジアーノ岡山FCへ加入。同じ高校から一度に2人のプロ選手が誕生するのは広島県では初の出来事であった。
同年4月から2011年、2012年とネクストへ所属する。
2013年シーズン終了後、契約満了により退団。その後競輪選手に転向、2015年に日本競輪学校へ入学した[

【野球】から競輪に転向した経歴を持つ選手

松谷秀幸選手 96期

松谷秀幸選手の画像
松谷秀幸選手の画像

”出典:日刊スポーツ

松谷秀幸(まつたに ひでゆき)
1982年10月16日生まれ、大阪府大阪市出身。
2000年のドラフト3位でヤクルトスワローズから指名を受け入団。
プロ入り1年目の2001年には、高卒ルーキーでありながらファームで15試合に登板し、先発も経験。綺麗なフォームから伸びのある速球を投じ、次代のエース候補として長く期待を受ける存在であった。しかし6年間で肘を3回手術するなど怪我に泣くことになる。2006年は飛躍が期待されていたが、再び故障を発症。一軍登板がないまま同年オフに戦力外通告を受けた。
プロ野球球団を退団後は、千葉中央ヤクルト販売株式会社に就職、サラリーマン生活を送る。だが、サラリーマン生活が肌に合わないと感じたこともあって、当時横浜ベイスターズの投手コーチであった野村弘樹と親交があった、競輪選手(当時)の佐々木龍也を頼って弟子入りした。

宮崎一彰選手 99期

宮崎一彰選手の画像
宮崎一彰選手の画像

”出典:デイリースポーツ

宮崎一彰(みやざき かずあき)
1975年4月24日うまれ、高知県出身。
1999年アメリカ独立リーグのアディロンダック・ランバージャックスに入団。レギュラーとして活躍し、その年の新人賞を獲得。
そんな時、巨人が興味を持っているとの連絡を受け帰国、入団テストを経て1999年のドラフト会議で巨人に7位で指名され入団する。
西武時代に西武園競輪場で初めて競輪を観戦したことやアイランドリーグ時代に香川オリーブガイナーズの選手との会話の中で、競輪選手の知り合いが居るとの話を聞き、その香川の選手を伝に紹介してもらい、以前から漠然と考えていた競輪選手への転向を決意する。

北野良栄選手 95期

北野良栄選手の画像
北野良栄選手の画像

北野良栄(きたの よしはる)
1983年10月13日生まれ、石川県金沢市出身。
星稜高等学校時代はその長打力で松井2世とも呼ばれ、高校通算本塁打37本塁打を記録した。
2001年度ドラフト会議にて福岡ダイエーホークスから5位指名を受け、入団。
川﨑宗則から「松井さんがゴジラなら、北野はメカゴジラだな!」という一言がきっかけで、「メカゴジラ」のあだ名で親しまれた。公式HPにも「ポジティブ北野のめかゴジ日記」として2004年から退団するまで日記を公開していた。2006年10月3日、一軍での試合出場がないまま球団から戦力外通告を受け、引退。北野自身も「この成績では僕が監督でも首にしますよ」と納得の引退だった。この時松中信彦から「マネージャーとしてホークスに残らないか?」と誘われ一時は引き受けたが、その後再び今後の進路を熟慮した結果その誘いを断り、競輪選手を目指すことを決意する。

萱島大介選手 99期

萱島大介選手の画像
萱島大介選手の画像

”出典:デイリースポーツ

萱島大介(かやじま だいすけ)
1980年1月6日生まれ、大分県出身。
国東高校から進学した福岡大学ではプロでも同僚となる喜田剛と同期。社会人野球のローソンに進むが、2002年シーズン限りでチームの廃部が決定していたため、同年10月に阪神タイガースの入団テストを受験。50 m走5秒7、ベース一周 (109.728 m) では当時5年連続盗塁王だった赤星憲広の記録13秒6を上回る13秒29と俊足をアピールし、この年のプロ野球ドラフト会議で阪神タイガースから11巡目指名を受け入団した。
2007年から2008年まで阪神二軍のスタッフ・用具係を務めていたが、競輪選手を目指すため退団した。

兵藤秀治選手 97期

兵動秀治選手の画像
兵動秀治選手の画像

”出典:デイリースポーツ

兵動秀治(ひょうどう ひではる)
1979年8月10日生まれ、佐賀県出身。
佐賀商高では2年夏の佐賀大会でベスト8に進み、3年夏は第79回全国選手権大会に出場。本大会では光星学院との1回戦で逆転満塁本塁打を含む6打点を挙げている。
高校通算44本塁打を記録し、走攻守三拍子揃った大型内野手として1997年度ドラフト会議にて広島東洋カープから2位指名を受けた。
2007年11月に日本競輪学校の年齢制限撤廃に伴い、佐賀商高の野球部の一つ上の先輩で、競輪選手である池田浩士に誘われ転向を決意、同校97期を受験し2008年7月に合格。

【スピードスケート】から競輪に転向した経歴を持つ選手

武田豊樹選手 88期

武田豊樹選手の画像
武田豊樹選手の画像

”出典:けいりんマルシェ

武田豊樹(たけだ とよき)
1974年1月9日生まれ、北海道出身。
高校時代は同学年で後に長野オリンピック500m金メダリストとなる清水宏保よりも好成績を収める。高校卒業後に王子製紙スケート部に入部するも伸び悩み、日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)入学を目指すために1997年に現役を一時引退し同スケート部を退部。
当時の24歳未満という年齢制限で自身ラストチャンスだったが、二次の学科試験に落ち不合格となる。
清水宏保と一緒に練習したことによりスピードスケートへの想いが徐々に沸きあがり、清水の計らいもあって1998年に現役復帰。
2002年ソルトレークシティオリンピックの代表に選ばれる。オリンピック本番では500m8位、1000m16位に終わる。
同大会後、ちょうどオリンピックの8位までの入賞者を対象に競輪学校の特別選抜入学の応募条件が29歳未満に引き上げられたこともあり、改めて競輪選手への転向を再び表明した。

西谷岳文選手 93期

西谷岳文選手の画像
西谷岳文選手の画像

”出典:日刊スポーツ

西谷岳文(にしたに たかふみ)
1979年1月17日生まれ、大阪府出身。
「浪速の弾丸」と形容されるスタートダッシュが持ち味で、長野オリンピックでは500メートルで金メダルを獲得し、19歳1ヶ月と日本の冬季オリンピック史上初の10代のメダリストとなり、2014年ソチオリンピックで平野歩夢が15歳にしてスノーボードハーフパイプで銀メダルを受賞するまで、日本選手団としては冬季オリンピック史上最年少のメダリストであった。
2006年5月15日に引退会見を行い、日本競輪学校を受験し競輪選手への転向を目指すことを表明。直近のオリンピックでの実績がなかったことから、一般の適性試験による受験となったが、引退会見直後に行われた第93期を受験し合格。

まとめ

今回は、異色の経歴がある競輪選手をまとめてみたよ!

今回紹介した選手以外にも、まだまだたくさんの選手がいるから、すごいよね!
特にスポーツ選手から競輪選手転向する人が多いのも特徴だね。

ジュン

紹介できなかったけど、スピードスケートの選手が競輪に転向する人が多いっていうのがわかったよ笑

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